東京都目黒区から埼玉県朝霞市へのお引越し
福井 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用いただき
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、石川です。
今回は
東京都目黒区から埼玉県朝霞市へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
東京都目黒区は、
住民の利便性を図り、
地域ごとの特色ある街づくりを支援するため、
独自の行政上の単位として
小学校の通学区域を基本とした
22の住区を設定しているそうです。
住区は住人の生活に最も密着した地域社会が形成されるような
地域単位であると想定され、区の地域政策の基本単位です。
各住区には住区センターが設置され、
住民の交流活動や学校外教育活動の場として利用されてきました。
また各住区では個人、町会、自治会、PTA、商店会、
社会教育関係団体等により住区住民会議という組織が作られ
住区の問題に対して対応するようになっています。
もともと各住区センターには住区サービス事務所が設けられ、
区が行う行政サービスの一部が受けられるようになっていました。
しかし後により広い範囲を基本とした
地区サービス事務所が開設されると、
行政サービスは地区サービス事務所に移り、
現在住区センターは住区住民会議や
住民の集会を行う場所として使われています。
お引っ越し先の埼玉県朝霞市は、
埼玉県の南部に位置する市です。
武蔵野台地の中北端にあります。
地形は大きく荒川低地と武蔵野台地に分けられます。
市北東部のさいたま市との市境を荒川が、
それよりも多少西側を新河岸川が南東に向かって流れています。
南東部の広沢の池から発する越戸川が、
東部の和光市との市境付近を北に向かって流れています。
上内間木の一部は荒川左岸に突き出ており、
さいたま市と陸続きになっているそうです。
その突出部で鴨川が荒川に合流し、
合流部のすぐ下流側に武蔵野線の荒川橋梁が架かっています。
中心部はかつて、
膝折宿という川越街道の宿場町だったそうです。
地名の由来は、
ある武士の馬がこの付近で足を骨折したためといわれています。
1932年、東京府荏原郡駒沢町にあった東京ゴルフ倶楽部が
当地に移転して来ました。
また、同時期に膝折村に町制が施行されました。
その際、倶楽部の名誉総裁で、
当時の皇族であった朝香宮鳩彦王にちなんで、
町制施行と同時に倶楽部の許可のもとに「朝霞町」と改名されたそうです。
この時、朝香という宮号をそのまま使用するのは畏れ多いということで、
一字変えて朝霞となったそうです。
とても優しい雰囲気のお客様でした。
スムーズにお引越しが終わったことに
感謝していただき
またお引越しする際はお願いしたいと言っていただき
嬉しかったです。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。
またご機会ありましたら
スタッフ一同お待ちしております。