「東日本大震災」支援物資の運搬の模様
- 区間
- 関東から東北
- 時期
- 4月
- 特色・こだわり
- 実際に被災地にいらっしゃる方々から学ぶことがありました
- トラック・作業員
- 1名
- 開始予定時間帯
- 2日間
- 要した作業時間
- 出発してから36時間後に帰宅
- 金額(参考)
- 混載便1件50,000円+支援物資0円
※金額は上記以外の様々な条件により異なります。
今回は「東日本大震災」によって被災されました岩手県大槌町からの依頼で、準備しておりました支援物資を運搬した際の模様をレポートします。(ムービングエス代表取締役社長:林)
※支援に至る経緯は下記の営業ブログをご覧ください。- 4/9 引越し業界の私たちとして、「私たちに出来ること」
- 4/22 「東日本大震災」復興のお手伝い
今回の支援希望品目は以下の通りです。
■洗濯機・冷蔵庫・洗濯に関わるもの(洗剤・物干し・ハンガーなど)
■理由:毎日の洗濯は勿論、瓦礫の撤去などで直ぐに衣服が汚れてしまうのと、避難所には数百人の被災者がいて電気は何とか付いたが洗濯機がほとんど無い状態の為(2011/4/9の時点)
2010年4月19日
協力会社の㈱ジュンムービング・㈱スタームービングから続々と物資が集まってきました。
2011年4月20日 12:30出発
宮城県名取市(個人宛)の支援物資と岩手県大槌町へ届ける支援物資(3t車分)を積み込み完了。
前日に同じ大槌町の避難所まで物資をお届けになった地元のボランティアの方の情報によると、4月11日の大きめの余震の影響で東北道はさらに悪路になっているとのことでしたので少し早目に出発する事にしました。(夜になると路面の凹みが見えないので危険です。)
横浜は快晴、桜もきれいに咲いています。安全運転で無事帰ってくるのが今回の使命です。
13:00 港区浜松町 到着
今回の支援物資の運搬が決まってから、偶然10年来の弊社のお得意様、一級建築士事務所 「静水舎」の代表 芝 先生から全く別の案件でお仕事の依頼があり訪問見積もりをした際、大槌町のお話をさせて頂いていたのですが大変興味を持って頂いて建築士として何か出来る事は無いかと考えて下さっていました。
その時はまだ自社で運搬する事が決まっていなかったので出発の前夜に明日向かう事をお伝えしたところ、「私も一緒に行けないかなぁ」と言って頂きました。
正直、驚きましたが自分も少し不安があり大変心強く感じたので 翌日、同行して頂く事になりました。(本当にありがたかったです。)
16:00~
途中、天気は崩れてきたものの目立った渋滞は無く順調に福島県に入れました。
事前の情報通りこの辺りから東北道の路面状況は悪化しはじめ、速度制限もありました。
仙台を抜ける辺りまでは拘束の繋ぎ目の部分に段差があり危険ですが、 毎日、道路公団の方々が復旧作業をされており日々改善はされているので、気を付けていれば事故を起こす程ではないと感じました。
22:00 岩手県遠野市 到着
片道約650km 途中休憩も含め約9時間で中継ポイント岩手県遠野市に到着。
ここは目的地の大槌町の隣町ですが、私の家内の妹夫妻の自宅があり宿泊させて貰いました。
妹夫妻も地震の直後は近くの避難所で過ごしており、被災者にも拘らず温かく迎えてくれました。
いつもはトラックのキャビンで縮こまって寝るところ足を延ばして眠れたのには感謝です。
4月21日 am4:00
今回の支援の切っ掛けを頂いた岩手県八幡平にお住まいのスーパーボランティア、浅井さんと落ち合っていざ大槌町へ。
上の写真は釜石の市街や被害の大きい街中を通って向かう際の周囲の様子です。
それまでのどこか浮ついた気持ちは消え去り今まで感じた事のない不安と途方もない情景に言葉を失いました。
am5:00 岩手県大槌町避難所 到着
岩手県上閉伊郡大槌町小槌22-46 (大槌ふれあい運動公園野球場)
朝早かった事もあり一般の方はほとんどいらっしゃらず、県職員の方に受け入れして貰いました。
am6:00 荷降ろし完了 左:芝先生(一級建築士)中央:現地ボランティア 浅井さん
今回お届け出来た物資は以下の通りです。
・洗濯機 20台 ・冷蔵庫 5台 ・衣装ケース 10個 ・スチールラック 2台
・ハンガーラック 4台 ・イス 10脚 作業服(つなぎ)30枚 ・机 2台
・生活雑貨(洗剤・ハンガー・食糧少々)10箱分 など
荷卸後、浅井さん・芝先生・平野さん(大槌町職員)・中村さん(現地ボランティア)と私を含めた5人で今後の支援に関するミーティングをしました。
この浅井さんが本当に熱意の塊のような方で、本気でこの街の復旧・復興に全身全霊を掛けている事が伝わってきました。
この時点における避難所の状況は、基本的な物資は(食糧・衣服など)充分な量が揃っており、物によっては廃棄物になりかねない状況とのことでした。
只でさえ町中にある瓦礫の山の処分方法もままならない中、外部からゴミを持ち込む様な結果になっては意味が無いどころの騒ぎではありません。
今後はしっかり情報を管理して本当に必要な物を必要なタイミングで用意する事が、絶対条件になると思います。
善意の押し売りではなく、相手の状況をしっかり把握して無理の無い継続的な支援が必要だと浅井さんから教わりました。
みんなほぼ初対面にもかかわらず直ぐに打ち解け実のある話が出来たと思います。
やはり目的がはっきりしていると話が早いですね。
必ずまた来る事を約束して大槌町を後にしました。
14:00 宮城県名取市 到着
次の任務は神奈川県川崎市より被災地に住む友人に不用になった家財道具一式をお届けするという内容でした。
今回到着してから少しお話させて頂いて判ったのですが、このお客様のご自宅も完全に流されてしまっており、今も避難所にいらっしゃるとのことでした。
まだ小さいお子さんがおられて本当に大変な状況にも関わらず、こちらに労いの言葉を頂き、母は強しと改めて思いました。
このお客様の様な状況の方が東北地方の沿岸部には沢山いる事は間違いなく、今回の様な家財道具の輸送の依頼は増えて来ると思いますので、しっかり対応していきたいと思います。
専門的な知識を持たない自分の感想など何の役にも立たないかもしれません。
しかし、今回の大地震は戦争を知らない若い世代にとっては今まで経験した事の無い緊急事態で、これを乗り越えて行くうえで、テクノロジーではない人と人との繋がりが最も重要であると再確認させられました。
被災地の方には本当に微力でも継続した支援が必要であることを肝に銘じて明日からも引越業に邁進する所存です。
今回、支援物資の調達にご協力頂きました全ての皆様、本当にありがとうございました。