川崎市麻生区から川崎市多摩区へのお引越し
石井 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用頂き
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、磯崎です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
また世間ではマスクの着用は任意となりましたが
弊社の作業員は引き続きマスク着用で作業させていただきます。
お客様との距離を保てるときは
外させていただくこともあると思いますが
ご了承ください。
今回は、
麻生区から川崎市多摩区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
川崎市麻生区は、
1982年7月に多摩区から分区して設置されました。
南北に長い川崎市において、
行政・商業の中心となっている川崎区とは最も離れています。
そのため市役所等への移動は非常に時間がかかり、
川崎市中心部よりも東京都庁のある新宿への便が良いです。
そのため大半のことは区内で事足りるよう、
区のほぼ中央の丘陵を開拓されています。
小田急の新百合ヶ丘駅付近を川崎市の北部副都心と位置づけて、
区役所、税務署などの公共施設、百貨店、映画館など
様々な商業施設が充実する近代都市としての開発が行われました。
南北交通の強化を図るため、川崎市では
川崎縦貫高速鉄道の建設構想を1960年代から提起しているが、
着工には至っていないそうです。
商業だけでなく、小田急小田原線・多摩線を軸にした
東京のベッドタウンとして発展が続いています。
元々、同区域は津久井街道が五反田川や麻生川に沿って伸び、
また1927年の小田急線開業によって交通の不便が改善され、
その沿線には集落が形成されていました。
さらに1960年代に入ると
現在の麻生区域の丘陵地帯では日本住宅公団による
団地建設を皮切りに急速な住宅地整備が進められ、
整備地域内の人口は急増したが、整備地域から外された大半の土地は
山林に覆われ、人口も少なかったです。
しかし1974年に多摩線が開業したことで沿線付近が住宅地として開発され、
また2000年以降には多摩線を意識した運行ダイヤが組まれ、
都心へのアクセスが向上したことで、
小田急不動産などのデベロッパーが積極的な開発・販売をした
新興住宅地が沿線に多く存在します。
その為、川崎市の中で社会増が最も多い区になっています。
お引越し先の川崎市多摩区は、
細長い川崎市の最北端に位置し、
新宿、渋谷、秋葉原、大手町など都内との交通網が発達しているため、
川崎中心部との商業的なつながりは薄いです。
北は多摩川を境に東京都と接しています。
南には多摩丘陵が広がり、
生田緑地は市民の憩いの場となっているそうです。
12月にご家族が増えるということをお聞きしました。
おめでとうございます。
片付けもほどほどにお身体を大事にしてください。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。
またご機会ありましたら、
ぜひともお声がけください。