川崎市川崎区から横浜市中区へのお引越し
工藤 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用頂き
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、磯崎です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
また世間ではマスクの着用は任意となりましたが
弊社の作業員は引き続きマスク着用で作業させていただきます。
お客様との距離を保てるときは
外させていただくこともあると思いますが
ご了承ください。
今回は
川崎市川崎区から横浜市中区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
川崎市川崎区は、
川崎市の東南端である多摩川の下流から河口にかけての南側に位置し、
全域が平地となっています。
川崎市の7つの区の中で唯一海に面しています。
扇島は全域私有地であり、
首都高速湾岸線を通行する場合を除いて一般人の立入りはできないそうです。
川崎区内には川崎駅や川崎市役所など市の中枢機能が集中し、
人口は決して少なくはないが、
沿岸部に広大な工業用埋立地を擁するために、
区の人口密度は他区に比較して低いです。
この数十年の人口動態の変化と
東京-川崎-横浜(町田)間の鉄道網の整備から、
川崎市の人口重心は川崎区から離れる傾向が続き、
市内北部ではいわゆる「川崎都民」の増加がみられるため、
川崎縦貫高速鉄道(2012年度をもって廃止)や川崎縦貫道路の整備、
大師線の地下化などによる川崎市内の交通網整備と
川崎区の活性化が構想されています。
お引越し先の横浜市中区は、
北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、
そして住宅街が主体になっています。
中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心とした
いわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地です。
海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、
北は新港・山下公園などの観光地で、
南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、
横浜港の中心となっています。
明治以前は武蔵国久良岐郡の一部でもありました。
1859年、横浜港が開港します。
関内地区(旧・横浜村)を居留地として外国人で栄え、
横浜市の市名のもととなった地域でもあります。
戦前は絹の貿易で栄え、
バルモン商会やシーベル・ブレンワルト商会など、
多くの外国商社が軒を連ねていました。
本町通りの一本南側にある「シルク通り」は、
その名残といわれています。
インド人商人なども多かったが、
現在は大半が他都市に移動するか帰国しています。
また英国総領事館やフランス領事館も中区に置かれていました。
航空機が移動手段の主流になる以前は、
貨客船などで海外に出る移民の多くがこの地を訪れており、
移民乗船の斡旋と宿泊業を行う外航旅館が多かったそうです。
また、山手にはかつて
イギリス軍やフランス軍が駐屯していました。
「フランス山」などの地名はその名残といわれています。
フランス山は、フランス軍撤退後フランス領事館が置かれるなど
幕末以降1971年横浜市が購入するまで一貫して
フランス政府が所有していました。
とても仲のいいカップルさんの
お引越しでした。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

またご機会ございましたら
ぜひともお声がけください。














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