川崎市川崎区から川崎市幸区へのお引越し
佐藤 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用いただき
有難うございました。
作業を担当させていただきました、石川です。
今回は
川崎市川崎区から川崎市幸区へのお引越を
お手伝いさせていただきました。
川崎市川崎区は
川崎市の東南端である多摩川の下流から
河口にかけての南側に位置し、
全域が平地となっています。
川崎市の7つの区の中で唯一海に面しています。
海側は埋め立の造成が進んでおり、
人工島の東扇島や扇島もあります。
川崎区内には川崎駅や川崎市役所など
市の中枢機能が集中し、
人口は決して少なくはないが、
沿岸部に広大な工業用埋立地を擁するために、
区の人口密度は他区に比較して低いです。
この数十年の人口動態の変化と
東京-川崎-横浜(町田)間の鉄道網の整備から、
川崎市の人口重心は川崎区から離れる傾向が続き、
市内北部ではいわゆる「川崎都民」の増加がみられます。
そのため、川崎縦貫高速鉄道(2012年度をもって廃止)や
川崎縦貫道路の整備、大師線の地下化などによる
川崎市内の交通網整備と川崎区の活性化が構想されているそうです。
このうち、川崎縦貫道路は川崎区内の一部が
首都高速神奈川6号川崎線として
川崎浮島ジャンクションから大師出入口までが既に開通し、
さらに西への延伸が検討されています。
川崎大師は年末年始にテレビのCMでよく見る
初詣といえばというほど有名なところですね。
お引っ越し先の川崎市幸区は
かつては梅の名所として知られ、
明治天皇の御幸があり、
これを記念して御幸村(みゆきむら)と名付けられたのが
区名の由来となっているそうです。
川崎市東部にあり、東側を流れる多摩川の下流域に位置します。
全般として平坦な地形であるが、
西部の夢見ヶ崎地区などは丘陵地になっています。
明治末期以降、
東京と横浜の中間点という立地に
注目して電気・機械・食品などの
大規模工場が多く進出していきました。
しかし、昭和末期以降は経済構造の変化に伴い、
大規模工場の閉鎖(市外移転)と
新たなハイテク産業の立地が進んでいるそうです。
また工場の移転跡は
川崎駅西口のように商業施設や
高層住宅地となる場所も多く、
今後の繁栄が期待されている地域とも言われています。
今回は作業員の友人宅のお引越を
お手伝いさせていただきました。
このような形で友人のために仕事ができ
とてもうれしく思いました。
いい思い出ができました。
お弁当と飲み物を用意していただき
ありがとうございました。
作業終了後にご一緒に写真を撮っていただき
ありがとうございました。
またご機会ありましたら
ぜひともお声かけください。