横浜市中区から横浜市港北区へのお引越し
福島 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用いただき
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、木田です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
まだまだマスクが手放せなく
油断できない状況下ですが
これからもできることを徹底して
お客様に安心してお引越ししていただけるように
心がけてまいります。
今回は
横浜市中区から横浜市港北区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
横浜市中区は
北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、
そして住宅街が主体になっています。
中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心とした
いわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地です。
海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、
北は新港・山下公園などの観光地で、
南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、
横浜港の中心となっています。
明治以前は武蔵国久良岐郡の一部でもありました。
1859年、横浜港が開港します。
関内地区(旧・横浜村)を居留地として外国人で栄え、
横浜市の市名のもととなった地域でもあります。
戦前は絹の貿易で栄え、
バルモン商会やシーベル・ブレンワルト商会など、
多くの外国商社が軒を連ねていました。
本町通りの一本南側にある「シルク通り」は、
その名残といわれています。
インド人商人なども多かったが、
現在は大半が他都市に移動するか帰国しています。
また英国総領事館やフランス領事館も中区に置かれていました。
航空機が移動手段の主流になる以前は、
貨客船などで海外に出る移民の多くがこの地を訪れており、
移民乗船の斡旋と宿泊業を行う外航旅館が多かったそうです。
また、山手にはかつて
イギリス軍やフランス軍が駐屯していました。
「フランス山」などの地名はその名残といわれています。
フランス山は、フランス軍撤退後フランス領事館が置かれるなど
幕末以降1971年横浜市が購入するまで一貫して
フランス政府が所有していました。
お引越し先の横浜市港北区は
東急東横線沿線を中心に住宅地・商業地が発達している地域です。
横浜線、横浜市営地下鉄沿線は緑を残しつつも
ニュータウンや大規模なマンションなどが立ち並び、
今なお開発が進んでいます。
特に東海道新幹線が通る新横浜駅周辺は発展しており、
2008年3月26日に19階建ての駅ビルである
キュービックプラザ新横浜が開業しました。
小机町には、Jリーグ横浜F・マリノスの本拠地である
日産スタジアムがあることでも知られています。
人口・世帯数はともに横浜市のみならず、
日本の政令指定都市の行政区の中で最も多いです。
横浜市政が指定する都心の一つである新横浜都心、城郷地区、
羽沢地区、新羽地区、新横浜地区のうち、神奈川区の羽沢地区を除く
すべての地区が港北区内に所在し、それらの各周辺地区は
現在活発に再開発が行われています。
東急東横線沿線を中心とする区内東部には、
低層の一戸建て住宅中心の閑静な住宅地が、
横浜市営地下鉄沿線を中心とする西部には、
マンション中心の新興住宅地が広がっています。
その一方で広い区内には随所に豊かな自然も残っていることから、
横浜市内でも住むのに人気の高い地域です。
机が大きく不安でしたが
無事に入って良かったです。
ドラムが重く少し大変でした。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

またご機会ありましたら
スタッフ一同お待ちしております。