東京都世田谷区から横浜市中区へのお引越し

星 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用頂き
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、石川です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
また世間ではマスクの着用は任意となりましたが
弊社の作業員は引き続きマスク着用で作業させていただきます。
お客様との距離を保てるときは
外させていただくこともあると思いますが
ご了承ください。
今回は、
東京都世田谷区から横浜市中区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
東京都世田谷区は
東京23区の南西部に位置し、
東京特別区の中では都心からは遠い場所にあり、
多摩地域では吉祥寺、埼玉県では川口市、
千葉県の松戸市、市川市と同じ都心15km圏にあります。
神奈川県と接する南側には多摩川が流れています。
都心から放射状に鉄道が通り、鉄道間の連絡や各駅と
住宅地を結ぶようにバス路線が走っています。
杉並区などと接する区北部は道路網が非常に入り組み、
交通網の発達が十分とはいえない部分もありますね。
貧弱な道路網の一因には、農地から宅地を造る際、
農道を基礎としていることも理由に挙げられています。
1990年代までは東京特別区で最大の面積でした。
ですが、羽田空港用地の拡大などにより、
現在の最大面積は大田区です。
地形的には大部分が武蔵野台地の内、
南部に位置し、地形の起伏が多いところです。
南部は多摩川に沿い、
区内他地域と比べて全体的に土地が低いです。
多摩川の段丘の斜面の連なりを「国分寺崖線」と言い、
区ではその一帯を「みどりの生命線」と呼ばれています。
渋谷区から神奈川県にかけて国道246号が
東西を横断、都道の環八通りが南北に縦断しています。
お引越し先の横浜市中区は
北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、
そして住宅街が主体になっています。
中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心とした
いわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地です。
海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、
北は新港・山下公園などの観光地で、
南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、
横浜港の中心となっています。
明治以前は武蔵国久良岐郡の一部でもありました。
1859年、横浜港が開港します。
関内地区(旧・横浜村)を居留地として外国人で栄え、
横浜市の市名のもととなった地域でもあります。
戦前は絹の貿易で栄え、
バルモン商会やシーベル・ブレンワルト商会など、
多くの外国商社が軒を連ねていました。
本町通りの一本南側にある「シルク通り」は、
その名残といわれています。
インド人商人なども多かったが、
現在は大半が他都市に移動するか帰国しています。
また英国総領事館やフランス領事館も中区に置かれていました。
航空機が移動手段の主流になる以前は、
貨客船などで海外に出る移民の多くがこの地を訪れており、
移民乗船の斡旋と宿泊業を行う外航旅館が多かったそうです。
また、山手にはかつて
イギリス軍やフランス軍が駐屯していました。
「フランス山」などの地名はその名残といわれています。
フランス山は、フランス軍撤退後フランス領事館が置かれるなど
幕末以降1971年横浜市が購入するまで一貫して
フランス政府が所有していました。
チェック品項目のみを
お運びさせていただきました。
荷造り完璧でした。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

またご機会ありましたら、
ぜひともお声がけください。