横浜市南区から横浜市中区へのお引越し
清家 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用頂き
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、川口です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
また世間ではマスクの着用は任意となりましたが
弊社の作業員は引き続きマスク着用で作業させていただきます。
お客様との距離を保てるときは
外させていただくこともあると思いますが
ご了承ください。
今回は、
横浜市南区から横浜市中区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
横浜市南区は、
横浜市を構成する18行政区のうちの一つです。
18区の中で人口密度が最も高く、
2位の西区に大きく差をつけています。
区の中央部を京浜急行電鉄、
鎌倉街道が南北に縦断して通っています。
そして鎌倉街道の地下には平行して
横浜市営地下鉄ブルーラインが通っています。
鎌倉街道に平行するように大岡川と途中で分流する
中村川が流れており、さらに磯子区へ流れる堀割川も分流されています。
北部には首都高速道路狩場線、西部には横浜横須賀道路が走っており、
幹線道路周辺では大きなビルやマンションが建ち並ぶが
それ以外のところでは大半が住宅地となっています。
南部にある弘明寺は横浜市の寺としては最古の寺であり、
弘明寺観音とも呼ばれています。
清水ケ丘公園は横浜高等商業学校、
横浜国立大学教育学部附属横浜中学校は
横浜高等工業学校の跡地でもあります。
お引越し先の
横浜市中区は
北部の平地には港側からビジネス街、繁華街、
そして住宅街が主体になっています。
中南部は内陸側が高台で「山手町」を中心とした
いわゆる「山手」と呼ばれる地区は昔からの住宅地です。
海岸側は全て埋め立てられて自然海岸は無く、
北は新港・山下公園などの観光地で、
南は埠頭・製油所などの重化学工業地帯で、
横浜港の中心となっています。
明治以前は武蔵国久良岐郡の一部でもありました。
1859年、横浜港が開港します。
関内地区(旧・横浜村)を居留地として外国人で栄え、
横浜市の市名のもととなった地域でもあります。
戦前は絹の貿易で栄え、
バルモン商会やシーベル・ブレンワルト商会など、
多くの外国商社が軒を連ねていました。
本町通りの一本南側にある「シルク通り」は、
その名残といわれています。
インド人商人なども多かったが、
現在は大半が他都市に移動するか帰国しています。
また英国総領事館やフランス領事館も中区に置かれていました。
航空機が移動手段の主流になる以前は、
貨客船などで海外に出る移民の多くがこの地を訪れており、
移民乗船の斡旋と宿泊業を行う外航旅館が多かったそうです。
また、山手にはかつて
イギリス軍やフランス軍が駐屯していました。
「フランス山」などの地名はその名残といわれています。
フランス山は、フランス軍撤退後フランス領事館が置かれるなど
幕末以降1971年横浜市が購入するまで一貫して
フランス政府が所有していました。
お天気予報が怪しかったですが
当日は雨に降られることなく終えることができてよかったです。

またご機会ありましたら、
ぜひともお声がけください。














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