横浜市泉区から横浜市保土ヶ谷区へのお引越し
伊藤 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用頂き
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、石井です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
また世間ではマスクの着用は任意となりましたが
弊社の作業員は引き続きマスク着用で作業させていただきます。
お客様との距離を保てるときは
外させていただくこともあると思いますが
ご了承ください。
今回は
横浜市泉区から横浜市保土ヶ谷区へのを
お手伝いさせていただきました。
横浜市泉区は
横浜市の南西部に位置し、
相模野台地と呼ばれる関東ローム層に覆われた
比較的平坦な台地の一部で、
区の西側を境川と和泉川が南北に流れ、
北側を阿久和川、東側を宇田川(村岡川)が流れています。
河川流域に農業地帯が開け、製糸業が行われていました。
区内は歴史的な経緯より中川地区と中和田地区から成っています。
西側は境川を市境として藤沢市・大和市と接し、
北側は瀬谷区・旭区、東側と南側は戸塚区と接しています。
相鉄いずみ野線と横浜市営地下鉄の2本の鉄道路線、
および神奈川県道22号横浜伊勢原線が区を横断しています。
1965年以降に市営上飯田団地、
県営いちょう団地などの大規模な公営団地の建設が相次いで行われ、
1976年に相鉄いずみ野線が開通して、沿線を中心に、
急速に宅地開発が進んだ泉区。
持ち家比率と、一戸建て率が市内一位です。
区内の数カ所で渓流の蛍をみることができる自然の良さもあります。
飯田団地、いちょう団地には
中国残留孤児の帰国家族やインドシナの難民家族などが住み、
多文化共生の試みが進められているそうです。
2014年に飯田北小学校と統合する前の
旧・いちょう小学校は在校生の約半数が外国籍だったそうです。
お引越し先の横浜市保土ケ谷区は
横浜市の中央部にあり、
関東ローム層からなる多摩丘陵の南東の端にあたります。
東平野にありながら起伏に富み、最高地は今井町の海抜97.0mです。
保土ケ谷区の地名由来は、
地域に神社の所領として置かれた荘園の一種である
「榛谷御厨(はんがやのみくりや)」から転訛したという説や、
凹地などの窪んだ所という意味の古語である
「ホト」のような谷という説など複数あるそうです。
「保土ヶ谷区」の表記もよく用いられるが、
「横浜市区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例」では
保土ケ谷区と定められています。
いいお天気の中、お引越しできてよかったです。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

またご機会ありましたら、
ぜひともお声がけください。