東京都杉並区から東京都中野区へのお引越し
井上 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用頂き
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、磯崎です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
また世間ではマスクの着用は任意となりましたが
弊社の作業員は引き続きマスク着用で作業させていただきます。
お客様との距離を保てるときは
外させていただくこともあると思いますが
ご了承ください。
今回は、
東京都杉並区から東京都中野区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
東京都杉並区は
元来この地域は武蔵国多摩郡であり、
江戸時代から明治・大正時代も多摩地域に属していました。
地理的に東京都区部の扱いになったのは、
1929年の世界恐慌後に東京市へ編入されてからです。
旧東多摩郡西半にあたり、
城西地区と呼ばれる東京23区の西部に位置します。
自然が豊富な、閑静な住宅地域として発展してきています。
JR中央線沿線(高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪駅周辺など)を
中心として、地元住民だけでなく区外からの来街者を想定した
個性的な中小店舗群も集まっています。
東京都内の6区市と隣り合っていて
北は練馬区、東は中野区、東南でわずかに渋谷区、
南は世田谷区、西側には武蔵野市と三鷹市が位置します。
地形的には武蔵野台地上にあり、
全体的になだらかな高台地域になっています。
特に高台に沿って、古来より甲州街道、
青梅街道が南北の区境近傍に東西に通っています。
お引越し先の東京都中野区は、
旧東多摩郡の東半にあたります。
東京23区の西部にあり、
地形的には武蔵野台地の一角に位置します。
東西に鉄道が数多く通り、渋谷区・新宿区・豊島区など
大繁華街を有する区とも隣接しており、
バスも渋谷駅・新宿駅・池袋駅から
区内を結ぶ路線があるなど利便性が高いです。
産業は、江戸期には畑作を中心とする近郊農業と
製粉、味噌・醤油醸造など食品工業が整備され、
江戸町民の旺盛な食料消費を支える立場にありました。
特に1923年の関東大震災以降は浅草から
新井薬師周辺へ寺院の移転が始まり、住宅地化も急速に進みました。
明治以降、工業化もある程度進んだが、
企業城下町のような工業的発展はないです。
その他商業、オフィス街としての発展は
第二次世界大戦以降それなりにあったが、
道路都市基盤が全般的に脆弱であるため、
都心・副都心地域や都心隣接の下町地域のような
商業地区化には至らなかったそうです。
明治以降、都心から移転してきた寺が多く、
区に隣接する落合斎場との相乗効果もあって
葬祭関連の産業もみられます。
中央線沿線地区を中心に専門学校が数多く存在します。
また昭和30年代以降、多くの漫画家が住んだため、
現在も漫画・アニメーション製作は、
隣接する杉並区と並んで盛んです。
近年、中野坂上地区の再開発により超高層ビルも建ち、
コンピュータ・ソフトウェア関連の会社も進出してきています。
記念のお写真には
お友達にも入っていただきました。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

またご機会ありましたら、スタッフ一同
お待ちしております。