千葉県市川市から東京都中野区へのお引越し
神山 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用いただき
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、高橋です。
今回は
千葉県市川市から東京都中野区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
千葉県市川市は、
千葉県北西部に位置する人口約49.5万人の市です。
市川市は、東京都の都心から10 - 20キロメートル圏内に位置し、
通勤、通学の便の良さから東京のベッドタウンとして発展しています。
市中央部は、国道14号(千葉街道)、総武本線、京成本線を軸として、
歴史的な街としての一面、文教都市・学園都市としての一面、
閑静な高級住宅地としての一面、
市の行政および商業の中心としての一面があります。
国道14号(千葉街道)の北側の歴史は古く、
旧石器時代や縄文時代の遺跡や古墳時代の古墳が多く残されています。
江戸川に近い国府台は、かつて下総国の国府が置かれ、
国府台城や大日本帝国陸軍の施設が置かれた後、
現在では国立高度専門医療研究センターである
国立国際医療研究センターや大学などの
教育機関に置き換わっています。
お引っ越し先の東京都中野区は、
旧東多摩郡の東半にあたります。
東京23区の西部にあり、
地形的には武蔵野台地の一角に位置します。
東西に鉄道が数多く通り、渋谷区・新宿区・豊島区など
大繁華街を有する区とも隣接しており、
バスも渋谷駅・新宿駅・池袋駅から
区内を結ぶ路線があるなど利便性が高いです。
産業は、江戸期には畑作を中心とする近郊農業と
製粉、味噌・醤油醸造など食品工業が整備され、
江戸町民の旺盛な食料消費を支える立場にありました。
特に1923年の関東大震災以降は浅草から
新井薬師周辺へ寺院の移転が始まり、住宅地化も急速に進みました。
明治以降、工業化もある程度進んだが、
企業城下町のような工業的発展はないです。
その他商業、オフィス街としての発展は
第二次世界大戦以降それなりにあったが、
道路都市基盤が全般的に脆弱であるため、
都心・副都心地域や都心隣接の下町地域のような
商業地区化には至らなかったそうです。
明治以降、都心から移転してきた寺が多く、
区に隣接する落合斎場との相乗効果もあって
葬祭関連の産業もみられます。
中央線沿線地区を中心に専門学校が数多く存在します。
また昭和30年代以降、多くの漫画家が住んだため、
現在も漫画・アニメーション製作は、
隣接する杉並区と並んで盛んです。
近年、中野坂上地区の再開発により超高層ビルも建ち、
コンピュータ・ソフトウェア関連の会社も進出してきています。
しっかりとお荷物が梱包されていたので
運びやすく助かりました。
また、天候にも恵まれ
無事に作業することが出来ました。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。
また、ご機会ありましたら
ぜひともお声かけください。