神奈川県藤沢市から横浜市泉区へのお引越し
廣瀬 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用いただき
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、丸田です。
今回は
神奈川県藤沢市から横浜市泉区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
神奈川県藤沢市は
住宅・観光・産業・文教都市。
全国的に有名な江の島、片瀬・鵠沼・辻堂海岸を有し
観光都市としての性格も併せ持つ「湘南」の中心都市です。
藤沢市内の駅では、JR、私鉄(小田急・相鉄・江ノ電)、
地下鉄(横浜市営地下鉄)、モノレール(湘南モノレール)の駅が存在し、
比較的交通の利便性が高い事から、東京・横浜の通勤・通学圏として発展し、
湘南海岸の温暖且つ穏やかな気候を求める人々や
サーフィンなどマリンスポーツなどを行う人や
良好な自然・住・教育環境を求める人等により人口が増加し続けています。
江戸時代には鎌倉仏教の一つである
時宗総本山である清浄光寺の門前町として、
東海道の6番目の宿場町・藤沢宿、
また江ノ島詣の足場として栄えています。
明治時代から第二次世界大戦の間、気候も温暖であることから、
南部の鵠沼・片瀬地区は明治時代中期より日本初の計画別荘地として開発され、
大正期以降、皇族や政治家、
数多くの学者や文化人などが居を構えた事で、
別荘地・保養地・避暑地として発達し、
芥川龍之介など多くの文化人の創作活動の場となりました。
第二次世界大戦後は東京のベッドタウン化が進み
人口が急増すると共に、JR(東海道本線、湘南新宿ライン、上野東京ライン)、
小田急(江ノ島線)、江ノ電の3つの鉄道が集まる藤沢駅を中心に
商業施設が集まっています。
また、慶應義塾大学、湘南工科大学、多摩大学、
日本大学を有する文教都市でもあります。
市の南部に位置する鵠沼海岸は、古くより海水浴場が開かれ、
現在は片瀬西浜・鵠沼海水浴場として年間来客数300万人を超す
日本一の海水浴場として知られ、
日本におけるビーチバレー発祥の地ともいわれています。
片瀬東浜海水浴場は、明治初期から
外国人による海水浴が行われた伝統を持っています。
現在でも夏季や初詣時期以外においても年間を通じ
約1,200万人もの観光客を集める湘南随一の観光地として有名です。
お引っ越し先の横浜市泉区は
横浜市の南西部に位置し、
相模野台地と呼ばれる関東ローム層に覆われた
比較的平坦な台地の一部で、
区の西側を境川と和泉川が南北に流れ、
北側を阿久和川、東側を宇田川(村岡川)が流れています。
河川流域に農業地帯が開け、製糸業が行われていました。
区内は歴史的な経緯より中川地区と中和田地区から成っています。
西側は境川を市境として藤沢市・大和市と接し、
北側は瀬谷区・旭区、東側と南側は戸塚区と接しています。
相鉄いずみ野線と横浜市営地下鉄の2本の鉄道路線、
および神奈川県道22号横浜伊勢原線が区を横断しています。
1965年以降に市営上飯田団地、
県営いちょう団地などの大規模な公営団地の建設が相次いで行われ、
1976年に相鉄いずみ野線が開通して、沿線を中心に、
急速に宅地開発が進んだ泉区。
持ち家比率と、一戸建て率が市内一位です。
区内の数カ所で渓流の蛍をみることができる自然の良さもあります。
飯田団地、いちょう団地には
中国残留孤児の帰国家族やインドシナの難民家族などが住み、
多文化共生の試みが進められているそうです。
2014年に飯田北小学校と統合する前の
旧・いちょう小学校は在校生の約半数が外国籍だったそうです。
お天気も良く、気持ちよく作業が出来た1日でした。
お客様の完璧な梱包のおかげで
スムーズなお引越し作業が行えました。
作業終了後、一緒にお写真を撮っていただき
ありがとうございました。

またご機会ありましたら
ぜひともお声かけください。