横浜市金沢区から川崎市幸区へのお引越し
榎本 様
この度は
弊社ムーバーズをご利用頂き
ありがとうございました。
作業を担当させていただきました、朝岡です。
ムーバーズは、ただいま
新型コロナウィルス対策として
朝一出勤した作業員は皆体温測定を行い、
体調確認をしたあと
消毒をしてから作業に取りかかります。
また世間ではマスクの着用は任意となりましたが
弊社の作業員は引き続きマスク着用で作業させていただきます。
お客様との距離を保てるときは
外させていただくこともあると思いますが
ご了承ください。
今回は、
横浜市金沢区から川崎市幸区へのお引越しを
お手伝いさせていただきました。
横浜市金沢区は
三浦半島の東側に位置し、
横浜市唯一の自然海浜である野島海岸と、
市内最高峰の大丸山を有する金沢区。
区を流れる河川には、二級河川の侍従川や宮川を始め、
富岡川や六浦川などがあります。
行政の中心・泥亀は、湯島聖堂の儒官であった永島祐伯が
新田開発を行ったことに由来するといわれています。
横浜市の最南端に位置し、
横須賀市、逗子市、鎌倉市、磯子区、栄区に接します。
海岸線を埋め立てた金沢工業地帯と
同時に造成された砂浜「海の公園」をはじめ、
横浜・八景島シーパラダイスや横浜ベイサイドマリーナなど、
マリンスポーツを楽しむことのできる複合施設も最近は賑わっています。
古くは武蔵国倉城郡六浦荘という荘園が設置され、
国衙や郡衙の支配を受けない私有地だったそうです。
鎌倉時代には幕府隣接の港町・六浦湊として栄え、
兼好法師が庵を結んだという伝承のある現在の上行寺東遺跡や、
北条氏による称名寺及び金沢文庫、
鎌倉市との境に残る朝比奈切通しなどが造られました。
古来、砂鉄を産し、これが「かねさわ」の語源といわれています。
鎌倉時代初期釜利谷の領主・畠山重忠は、
本拠の埼玉・秩父地方から職人を移住させ、武具などを製作させました。
江戸時代に入ると、1722年に米倉忠仰が
下野国皆川から陣屋を金沢に移し、六浦藩が成立します。
米倉氏は甲斐源氏武田氏支流であったが武田氏滅亡後、
徳川家康を頼り、綱吉の時代、
同じ武川衆の家系であった柳沢吉保との縁戚関係から諸侯に列しました。
また江戸時代には景色の美しさから観光地となり
金沢八景と呼ばれるようになりました。
お引越し先の川崎市幸区は
かつては梅の名所として知られ、
明治天皇の御幸があり、
これを記念して御幸村(みゆきむら)と名付けられたのが
区名の由来となっているそうです。
川崎市東部にあり、東側を流れる多摩川の下流域に位置します。
全般として平坦な地形であるが、
西部の夢見ヶ崎地区などは丘陵地になっています。
明治末期以降、
東京と横浜の中間点という立地に
注目して電気・機械・食品などの
大規模工場が多く進出していきました。
しかし、昭和末期以降は経済構造の変化に伴い、
大規模工場の閉鎖(市外移転)と
新たなハイテク産業の立地が進んでいるそうです。
また工場の移転跡は
川崎駅西口のように商業施設や
高層住宅地となる場所も多く、
今後の繁栄が期待されている地域とも言われています。
お写真のご協力もありがとうございました。

またご機会ありましたら、
スタッフ一同お待ちしております。